CGL通信 vol05 「今あらためて 真珠について」

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CGL通信 vol05 「今あらためて 真珠について」

真珠の歴史

真珠は私たち人類が最初に出会った宝石といわれています。古代の人々は狩猟生活を営んでおり、日々の食料として入手しやすい貝類を多く採取していました。河川や湖、海辺から採取した貝から天然の真珠が現れたであろう事は容易に想像することが出来ます。

I.日本の天然真珠

最古の真珠は今からおよそ5500年前の縄文時代中後期の福井県鳥浜貝塚から出土したもので「トリハマ・パール」と呼ばれています。変形の半球状で大きさは長径15.6mm、短径14.5mm、厚さ10mmの大きさがあり、淡水産の二枚貝(カワシンジュガイ・ドブガイ・カラスガイ)が母貝と考えられ、底部に削り取った様な痕があることから天然真珠の一種、ブリスターパール(貝の体内に生成した天然真珠が貝殻部に癒着したもの)といわれています。

そのほかに、北海道西積丹の泊地区で約4500年前の縄文時代の遺跡から全国的に見ても非常に珍しい、紐を通すために穴のあけられた真珠が出土しています。分析により、この真珠の母貝は海水産2枚貝のエゾヒバリガイ(イガイ科の貝でムール貝と同種)であると推定されています。

同じく岩手県の岩谷洞窟からも紐を通す為の穴があけられた真珠が発見されています。淡水産のカワシンジュガイの真珠と考えられています。希少性の高い真珠に穴をあけたという事は装飾用として、または権力の象徴として用いられたのでしょう。

古事記や日本書紀、万葉集などにも真珠を表した言葉が出てきます。「シラタマ、マタマ」はアコヤ真珠をさし、「アハビタマ」はおそらくアワビ真珠の事をさしているしょう。

また魏志倭人伝に「シラタマ、5000個が魏の国に献上された」という記録が残っています。正倉院には奈良時代(1200年前)の宝物として、4158個のとても保存状態の良い真珠が伝承されています。当時から日本では天然真珠が産出していたので正倉院宝物真珠は日本産のアコヤ真珠やアワビ真珠といわれていますが、正倉院はシルクロードの終着点ともいわれ、遥か遠くのペルシャやセイロンともつながっていたので、もしかするとペルシャ湾産やセイロン産の真珠も含まれているかもしれません。

II.世界各国の天然真珠

よく知られているのは、"オリエンタルパール"と呼ばれる、ペルシャ湾、紅海やスリランカ周辺の天然真珠でしょう。紀元前からの歴史があり、8世紀以降は色々な文献にも登場します。また、古くから組織的に真珠採取を行い、1920年代に養殖真珠が台頭するまで天然真珠の一大産地でした。

アメリカ大陸ではカリフォルニア半島から南米ペルーにかけてと、西インド諸島からパナマ、ベネズエラにかけての海域が天然真珠を産出していました。しかしコロンブスのアメリカ大陸発見以降真珠を手に入れるために真珠貝が取り尽されてしまいました。近年ようやく真珠貝の数が回復してきたようです。巻貝のアワビやピンクガイ、ホラガイの一種やハルカゼヤシガイなどからも美しい天然真珠が産出します。

海水産真珠以外に淡水産真珠も古くから知られていました。ヨーロッパでは中世、ルネッサンス期にスコットランド、ドイツ、ロシアの川で淡水真珠が採取され王侯貴族や教会(宗教的および霊的な対象とした装飾に用いられた)に供給されていました。

アメリカでは、今から2000年以上前の古代ホープウェル文化(現在のオハイオ州付近で発達したアメリカ先住民の文化)まで遡ることが出来ます。19世紀の中ごろニュージャージーで食用として採取した貝より真珠が取れ、これをきっかけに多くの人達が押し寄せ "パールラッシュ" が起こりました。

III.養殖真珠

天然真珠の採取にはとてつもない労力を必要とします。丸一日、何十回と海へ潜り何千個もの貝をしらべなければならず、100~1000個を調べてやっと見つかる程度と言われています。貝が真珠をはぐくむ事が出来るなら、自分たちの手で作ることが出来ないのか?当然人々は考えました。

最初の養殖真珠と呼べる物は中国で作られました。鉛などで仏像を型取りカラスガイの貝殻の内面と外套膜との間に挿入、固定します。貝が成長するに伴い真珠質も分泌するので仏像の形に真珠層が形成された"仏像真珠"といわれるもので、11世紀頃から盛んに作られました。その後18世紀以降にヨーロッパではスウェーデンの自然科学者カール・フォン・リンネが、19世紀になるとドイツやフランスの科学者が本格的に実験に取り組み始めました。日本でも御木本幸吉が1893年に半形真珠の養殖に成功し、その後の1905年に赤潮でアコヤガイが全滅したが5個の真円真珠を得る事が出来ました。また、西川藤吉、三瀬辰平が球形真珠養殖法の特許を1907年に申請しています。

日本がヨーロッパより一歩先を進むことが出来たのは、ヨーロッパはカワシンジュガイを使い真円真珠の養殖を目指したのに対し、日本はアコヤガイを使い半形真珠の養殖に成功しその後、真円真珠に移行していった事によるといわれています。その後日本は近代真珠養殖に大いに貢献し、全世界を席巻したことはご存知のことと思います。

日本を取り巻く環境

I.「真珠養殖事業法」廃止による影響

半形養殖真珠に成功して110年あまり、日本を取り巻く環境が大きく変わってきています。1998年に、「真珠養殖事業法」が廃止になりました。その中に、海外真珠養殖3原則というものがあり、海外で日本人が養殖を行う場合は、資本関係の確保、技術の非公開、生産真珠の買い取りを決めていました。また、国内で密殖と生産過剰をきたさないように、水産庁・県・団体・識者が集まり、毎年全体数量を決め、各県別・個人別に至るまで数量を決め、生産調整を行なっていました。

輸出検査所では品質検査国の輸出振興策の一環として、輸出する真珠はすべて国営の輸出検査所で検査し、合格した真珠のみ輸出することを義務付けていました。この検査基準は業界の品質の自主管理にも役立っていました。(現在は日本真珠輸出組合が検査を引き継いでいます。)この「真珠養殖事業法」は約半世紀にわたり、真珠養殖産業の振興に貢献してきましたが、国際化が進む中で独占や閉鎖性はゆるされることではなく、廃止になりました。自由化されたことで、人材も資金も技術も海外に流出することになり、世界規模で真珠養殖地域の拡大や母貝の多様化、生産量と品質と加工が想像できない方向へ展開しています。鑑別の現場では、今まで見ることの無かった加工が行われた養殖真珠や従来の概念や手法では判別できないような真珠に遭遇します。各国であらゆる方法、可能性を追求し加工が行われているようです。

II.日々の業務で遭遇する加工の例

養殖真珠には様々な加工が行われます。一般的な加工法として、加温、調色、漂白が行なわれています。これらを「潜在的に有する美しさを引き出す真珠特有の加工が行われています。」との言葉に置き換え、真珠鑑別書には加工の有無、内容、程度に応じてコメントが記載されます。(その他のコメントについては紙面の関係上省略させていただきます。詳細については社団法人日本ジュエリー協会発行の「真珠の定義および命名法に関する規定」を御覧下さい。)

以下に母貝別の真珠に見られる加工を紹介します。

【アコヤ養殖真珠】
1.加温、調色、漂白が一般に行われており、「潜在的に有する美しさを引き出す真珠特有の加工が行われています。」のコメントが付記されます。
2.テリをよくする(キズ取り・研磨を含む)
3.色の改変(着色、照射処理)

【シロチョウ養殖真珠】
1.テリを良くする(キズ取り・研磨を含む)
2.アコヤ真珠に似せるアコヤ仕上げ
3.薄黄色を隠すための照射処理
4.茶金に似せる着色処理
5.変形珠を研磨形成し見せかけの真円珠等にする
*従来、加工は行なわれていないとされていましたが、近年は何らかの加工が行われている真珠が見られます。

【クロチョウ養殖真珠】
1.テリを良くする(キズ取り・研磨を含む)
2.色を薄くする
3.色を濃くする
4.変形珠を研磨形成し見せかけの真円珠等にする
*従来加工は行なわれていないとされていましたが、近年は何らかの加工が行われている真珠が見られます。

【淡水養殖真珠】
1.テリを良くする(キズ取り・研磨を含む)
2.アコヤ真珠に似せる、アコヤ仕上げ
3.シロチョウ真珠に似せるシロチョウ仕上げ
4.色を薄くする
5.色を濃くする
6.変形珠を研磨形成し見せかけの真円珠等にする
*淡水養殖真珠は本来淡く色を帯びているものが多く、世界の需要に答えるために多くは漂白が行なわれています。

詳細な観察や蛍光X線分析装置、分光光度計や他の装置を用いた分析でほとんど鑑別できますが、情報の開示が少ないために、母貝の種類やどんな加工が行なわれたのか等、看破できないものが存在することも事実です。

最後に

鉱物ではない真珠の美しさを最大限に引き出すための加工は古くから行なわれています。しかし過度に加工処理を行なえば品質にも大きく影響し、経年変化が短時間に起こってしまいます。今後は母貝の同定、加工の有無の鑑別だけでなく、新たな品質基準(加工基準)を作ることが求められる時代になって行くかもしれません。

昨年9月下旬に香港で開かれたCIBJO(国際貴金属宝飾品連合)の真珠委員会において、アメリカやヨーロッパ勢が積極的に真珠の新しい国際ルール作りへ動き出しています。

以上