CGL通信 vol66 「ブラジル/パライバ・トルマリン鉱山を訪ねて」
CGL リサーチ室 北脇裕士
パライバ・トルマリンの人気は根強く、今なお重要な宝石アイテムの一つです。特に“ブラジル産”と原産地が特定されるとさらにその評価が高まります(写真–1)。最近になって、本来の鮮やかな青色〜緑色のパライバ・カラーに加えて、銅の含有量の少ない淡青色のタイプも多く流通するようになりました(写真–2)。
ブラジルでは品質の良いものはすでに枯渇したなどとのうわさもあり、原産地のブラジルでの採掘状況を視察するために 2024 年 3 月にパライバ州とリオグランデ・ド・ノルテ州のパライバ・トルマリン鉱山を訪問しました(図–1)。 パライバ州にはバターリャ(Batalha)鉱山とグロリアス(Glorious)鉱山があります。視察の結果、バターリャでは3つの鉱区のうち1つは試掘がなされていますが、今のところほとんど産出はありませんでした。残りの2つの鉱区は現在採掘が止まっています。グロリアス鉱山はこの数年産出はなく、現在は新たなペグマタイトパイプを探索中です。
リオグランデ・ド・ノルテ州にはムルング(Mulun–gu)鉱山とキントス(Quintos)鉱山があります。後者は 10 年以上前に閉山されたままであり、前者は Brazil Paraiba Mineと名称を変えて活発に採掘とカット・研磨が行われていました。ただ、聞くところによると、実際に研磨されているパライバ・トルマリンの一部は、現在採掘されたものではなく、かつて採掘された在庫品とのことでした。
◆はじめに
パライバ・トルマリンは、1989 年に宝石市場に登場した彩度が高く鮮やかな青色〜緑色の銅着色のトルマリンです。 当初ブラジルのパライバ州で発見されたため、パライバ・トルマリンと呼ばれるようになりましたが、1990年代には隣接するリオグランデ・ド・ノルテ州からも採掘されるようになりました(図–1)。さらに2000年代に入って、ブラジルから遠く離れたナイジェリアやモザンビークなどのアフリカ諸国からも同様の含銅トルマリンが産出するようになり、そのネーミングに物議を醸しました。また、パライバ・トルマリンのほとんどは鉱物学的にエルバイトという種類に属しますが、モザンビーク産の一部のものはリディコータイトに属するものも知られています。 現在では原産地やトルマリンの鉱物種に関係なく、銅が主たる原因の青色〜緑色のトルマリンは広義でパライバ・トルマリンと呼ばれています(文献1)。
日本国内では、一般社団法人日本ジュエリー協会(JJA) と一般社団法人宝石鑑別団体協議会(AGL)の両団体による慎重な協議の上、2006 年 5 月 1 日より、パライバ・トルマリンは、「銅およびマンガンを含有するフルー〜グリーンのエルバイト・トルマリン」(産地は問わない)とされました。そして、元素分析を行い、分析報告書に限り、別名としてパライバ・トルマリンの記載が可能となりました。さらに「但し産地を特定するものではありません」とのコメントを記載し 、原則として原産地鑑別は行わないこととしました。しかし、近年のトレーサビリティの考え方に則して、AGLでも慎重に議論が重ねられ、2019 年 10 月 1 日より分析報告書に原産地表記が可能となりました。CGLでは、パライバ・トルマリンの原産地鑑別の依頼があれば、詳細な分析を行い、ブラジル、ナイジェリア、モザンビークのいずれかの産地を記載しています(写真–3)。
◆位置および交通
ブラジルのパライバ州および隣接するリオグランデ・ド・ノルテ州は地球儀で見ると、日本の真反対に位置しています。そのため日本からは空路で東回りと西回りのルートがあります。東回りは日付変更線を超えてアメリカ経由となり、西回りは中東やヨーロッパを経由する便が多くあります。いずれにしても飛行時間は乗り継ぎを入れると片道 26〜30 時間ほどになります。今回は韓国を経由してエチオピアのアジスアベバで乗り継ぎ、ブラジルのサンパウロまでやはり 30 時間ほどかかりました (写真–4)。この飛行時間の間に日本との時差12時間が生じ、機内食が計 4 回提供されました。サンパウロからは国内線でミナスジェライス州の州都であるベロオリゾンテに向かい、ここを拠点に二日間を過ごし、いくつかの鉱山を訪問しました。初日は世界で 3 番目に大きい金鉱山であるアングロゴールドアシャンティ鉱山、二日目はイタビラ〜ノバエラ地区のエメラルド鉱山を視察しまし た。三日目にベロオリゾンテから国内線でパライバ州の州都であるジョアンペソアに向かい、そこからはレンタカーでおよそ 4 時間走り、同州のエクアドルという小さな街に到着しました(写真–5)。エクアドルはリオグランデ・ド・ノルテ州の最南端にある小さな街で宿泊施設と飲食店があり、バターリャ鉱山視察の拠点となります(図–1),(写真–6)。
筆者は 2005 年にもブラジルのパライバ鉱山を訪ねており、その際はリオグランデ・ド・ノルテ州のパレリアスという街に滞在しています(図–1)。パレリアスは人口およそ 2 万人の小さな田舎街で、ムルング鉱山およびキントス鉱山に程近いのですが、バターリャ鉱山までは未舗装道路を含めて 1 時間半ほどかかります。
今回のパライバ鉱山視察は筆者にとって実に 19 年ぶりですが、前回と比較してその変貌ぶりについてもご紹介したいと思います。
◆地質
パライバ州とリオグランデ・ド・ノルテ州にはクエイマダス山脈(現地の人はキントス山脈と呼ぶ)と呼ばれる丘陵地があり、ここの随所に、宝石品質のトルマリン(パライバ・トルマリンを含む)を含有するペグマタイト(巨晶花崗岩)が存在しています。このペグマタイトを含む地域はBorborema Pegmatite Province (BPP)と呼ばれ、第一次大戦中には戦略物資として雲母、シーライト、タングステンなどが採掘されており、大戦後には銅、ニッケル、ウラン、金、イルメナイトなどが採掘されています(文献–2)。ペグマタイトはアルバイトを主体とした長石、石英、白雲母およびトルマリンで構成されています。長石の大部分はカオリンと呼ばれる柔らかな白い粘土に変質しており、陶磁器の原料や化粧品および薬の添加剤になるため採掘の対象となっています。この地域に広く分布する基盤岩は新原生代(およそ 6 億 5000 万–5 億年前)の古い変成岩(主にクォーツァイトや変礫岩)です。この時代は南米大陸やアフリカ大陸が分裂する以前でゴンドワナ超大陸を形成していたと考えられています(文献–3)。図–2の水色の領域は、その頃の造山帯を示しています。パライバ・トルマリンを産出するブラジル、モザンビーク、ナイジェリアの 3 カ国の原産地は共通してこの古い時代の造山活動に関連しています。
◆パライバ・トルマリンの発見
1982 年、ブラジルのパライバ州バターリャ(Batalha)の小高い丘(写真–7)で、Heitor Dimas Barbosa(以下エイトー)氏は数人の仲間とこれまでに見たことのない鮮やかな青色の石を発見しました。エイトー氏が初めに見つけた青色石は品質の良くないものでしたが、1988年には透明度の高い原石が10kgほど見つかりました。 エイトー氏はこれらを自身の出身地であるミナスジェライス州のベロオリゾンテや隣接するサンパウロ、リオデジャネイロで販売しようとしました。しかし、あまりにも鮮やかな色であったため誰も天然石と信じてくれなかったといいます(文献–4)。その後、鑑別機関で天然トルマリンの鑑別書を取り、翌1989年にツーソンジェムショーに出品しました。その鮮やかな色は“ネオン・ブルー”あるいは“エレクトリック・ブルー”と賞賛されました。そして、ショーの初めには$ 80/ctだったものが、最終的には$ 2,000/ctに跳ね上がるという伝説が生まれました(文献–5)。「この宝石はどこで産出したのか?」という質問に対する回答が「パライバ」であったため、自然にパライバ・トルマリンと呼ばれるようになりました。さらに 1989–1990 年にかけて 15–20kg の原石が採取され、このうちの 10kg が高品質であったといわれています(文献–4)。
◆パライバ州の鉱山
バターリャ鉱山
人口が 500 人ほどのパライバ州の小さな村バターリャ(写真–8)で発見された銅着色のトルマリンは、パライバ・トルマリンと呼ばれるようになり、一躍大人気の宝石となりました。1990–1991 年にかけて生産のピークを迎えますが、価格が急上昇したため、鉱山の所有権の係争問題が発生しました。ブラジルでは採掘権と土地の所有権は必ずしも同じではないようです。所有権と採掘権の両方を取得していれば問題はないのですが、異なる場合には紛争の種となりかねません。発見者のエイトー氏は土地の所有者ではなく地元の人間でもなかったことで、採掘に関してさまざまな政治的な外圧を受けたようです。また、鉱山労働者への攻撃もあり、採掘の継続が困難となりました。10 年近くにもおよぶ裁判の結果、最終的にバターリャの鉱区は 3 分割されることとなりました。最初に発見された鉱脈を含むエリアをエイトー氏が獲得し、地元の土地所有者のジョンヒッキー氏と地元有力者のハニアリー氏がそれぞれの採掘権を得ることとなりました。写真–9の左側の小高い丘から中央付近までがエイトー氏の鉱区、写真中央から少し右あたりまでがジョンヒッキー氏の鉱区、写真右側の建物はハニアリー氏の鉱区です。
パライバ・トルマリンの発見により、今や伝説の人となったエイトー氏ですが、残念ながら2023 年 9 月 23 日に永眠されており(文献–6)、鉱山はご子息のSergio Barbosa(以下セルジオ)氏が引き継がれています(写真–10)。
今回の鉱区訪問ではセルジオ氏のご厚意により、内容の濃い視察が実現しました。 エイトー氏の鉱区入り口は小高い丘の中腹にあります(写真–11)。
丘の上まで進むと管理施設があり、玄関前にはエイトー氏が鉱床 発見当時使用していたという車両が置かれていました(写真–12)。 施設内にはエイトー氏の肖像写真や栄誉市民の賞状なども飾られていました(写真–13)。
バターリャ地区の鉱区にはペグマタイトの脈が少なくとも6つ確認されており、それぞれに L1〜L6 まで番号が振られています。エイトー氏は最初にパライバ・トルマリンを発見した場所の近くから縦坑を掘り(写真–14)、そこから鉱脈に沿って横坑を掘り進めています(写真–15、16)。
過去には常に10人程度のスタッフが働いていましたが、幾度となく資金難や隣接するハニアリー氏との地下での所有権の係争で採掘が中断しているようです。資金面では風化しペグマタイトを採掘した際に出るカオリンが売り上げになり、鉱山継続の支えになっているようでした。坑内を案内してくれた技術者の話によると、L1 では当初グリーン・ブルーのパライバ・トルマリンが産出したとのことです。L2 は最も有望なラインで、良い結晶を大量に産出しており、市場に流通したものの多くはこのラインから採掘されました(写真–17)。
L3 はグリーン、ブルーに加えてバイオレットやバイカラーなど各色が産出しました。L4 は品質があまり良くなく、10 年ほど前に産出したきりとのことです。L5 はセルジオ氏が2023 年から試掘を始めたばかりで、L6 はほとんど手つかずのようです。この6本のライン以外にも派生した何本ものペグマタイト脈が走っており(写真–18)、どの脈にパライバ・トルマリンが含まれているか予測するのは困難なようです。
ハニアリー氏の鉱区には外部からの侵入者を防ぐための高い塀と監視塔が設置されています(写真–19)。
1990 年代の最盛期には 30 人ほどのスタッフが働いており、活発な採掘が行われていました。筆者が前回訪れた 2005 年当時には縦坑の深さが 30mほどでしたが(写真–20)(文献–7)、2014 年には 120mにも達していたそうです(文献–4)。
2015 年頃には新たな場所から(写真‒21)サイズは小さいもののかなりの量が採掘されたようです(写真‒22)。現在はエイトー氏との採掘権問題の係争中で採掘は中止しているようです。
ジョンヒッキー氏の鉱区では1990 年代の最盛期には 50 人ほどのスタッフを擁し、重機を使用して活発に採掘していました。2005 年に訪問した際には地下の坑道を案内していただきましたが(文献–7)、今回訪問した際には採掘権の問題で採掘は行われていませんでした(写真–23,24)。鉱区内を見渡しても採掘活動の痕跡は見当たりませんでした。地元関係者に聞くところによると、以前掘り起こした土砂から鉱石を細々と選別しているだけのようです。ただ、昔の在庫があり、時折市場に供給されているようです。
グロリアス鉱山
2006 年の初め頃、パライバ州のバターリャ鉱山から直線で北東に30kmほどの地にグロリアス鉱山が開坑されました(文献–8)。ここの地質はバターリャと同じく新原生代の古いクォーツァイトなどの基盤岩が広く分布しており、そこにペグマタイトが貫入しています。鉱山ではこの脈状に貫入したペグマタイトが採掘されています(写真–25)。
ペグマタイトは主に風化した白いカオリン質の粘土からなります。先述のとおり、カオリンは高級な陶磁器の原料となりますが、この地のカオリンは特に品質が良いとのことです。そのため掘削したカオリンを販売して鉱山経営を継続しながらパライバ・トルマリンが採掘されてきました。
このようにパライバ・トルマリンの鉱山は掘削した土砂もカオリンとして活用することができ、資源の有効活用が行われています。グロリアス鉱山で採掘されたパライバ・トルマリンは銅の含有量が多く色は良いのですが、採取量は少なく、ほとんどが1 ct未満の小粒石です(写真–26)。
近年はCovid–19の影響もあり、鉱山は長らく放置されてきました。そのため、掘り出されたペグマタイトの跡地の空洞は雨水で水没してしまっています(写真‒27)。
しかし、最近になって日本人の開拓者たちが改めて採掘を始めています(写真–28)。現在、従来のライン(ペグマタイト脈)をさらに延長するか、新たなラインを探すか検討されているようです。今回の視察時には重機が導入され、地表付近のペグマタイトの分布が調査されていました。
グロリアス鉱山は近隣にカオリンが採掘されたペグマタイトが複数存在し、一部にはパライバ・トルマリンを含む鉱石も見つかっていることから(写真‒29)、今後の動向に期待が持てます。
◆リオグランデ・ド・ノルテ州の鉱山
キントス鉱山
パライバ州に隣接したリオグランデ・ド・ノルテ州にも2つのパライバ・トルマリンの鉱山があります(図–1)。 パライバ州に近い方からキントス(Quintos)鉱山とムルング(Mulungu)鉱山です。
キントス鉱山は人口約 2 万人のパレリアスの街から南に 10 kmほどの山腹にあり、ドイツのポールビルド(Paul Wild)社が経営していたため、地元ではジャーマンと呼ばれていました。1995 年にこの地のペグマタイトからパライバ・トルマリンが発見され、90 年代の終わりごろから本格的な操業が始まりました。2005 年に筆者が訪問した際には 60 名ほどのスタッフが従事しておりバターリャよりも機械化が進んでいる印象がありました(文献–7)。キントス鉱山では数ctサイズのブルーの他にグリーンのパライバ・トルマリンも産出していましたが、産出量は限定的で、残念ながら 10 年ほど前に閉山されました。 しかし、最近になってCGLの鑑別業務中にキントス鉱山産と思われる淡色のパライバ・トルマリンを見かける機会が増加しており(写真2)、モザンビークやナイジェリア産との識別に困難を伴うようになっています(文献–9)。そのためこれらの流通経路が確認できればと思っておりました。
今回訪問した際には鉱山入り口には門番がおり、鉱山に続く道には轍がありましたので何らかの操業が行われていることがわかりました(写真30)。
地元の事情通と業界関係者の話によると、閉山後に水没した坑道からは一部水が抜かれ、新たに拡張はされていないものの、当時の“ずり”から再度選鉱が行われているようです。また、ドイツの本社にはこれまでのストックがあり、品質の劣るものはカボションカットに、透明度の高いものはファセット加工がなされて市場の動向を注視しながら適宜供給されているとのことです。
ムルング鉱山
ムルング鉱山はパレリアスの街から北東 5kmの山麓に位置しています(図–1)。キントス鉱山よりも早く、1991 年には含銅トルマリンが発見されています。かつてはMineracao Terra Branca社が所有 していたためMTB鉱山としても知られていましたが、現在はBrazil Paraiba Mineと改称されています(写真–31, 32)。会社のホームページも立ち上げられており(https://brazilparaibamine.com/en/home/)、鉱山の概要を知ることができます。また、InstagramやFacebookなどのSNSなどを利用した広報活動にも力を入れています。会社概要によると、200 名の従業員が18の業務部門に配属されており、採掘、選別、カット・研磨が自社で一貫して行われています。
ブラジルでのパライバ・トルマリンの採掘規模としては現在最も大きく活動的です。2005 年に訪問した際にはドラム缶の中に 2 名で入り、ワイヤーで吊るされてゆらゆらと縦坑を降りましたが(文献‒7)、今回は 7–8 名ほど入れる安全柵付きの昇降機が設置されていました(写真–33)。縦坑の深さは100m近くあり、そこから幾本もの横坑が開けられています。横坑は非常に広い空間が広がっており(写真–34)、ショベルカーなどの重機が稼働しています(写真–35)。現場の技術者の話によると、岩盤の掘削能力は最大で一日に 200t に及ぶとのことです。実際、地上に作られたいくつもの“ずり”の山からも活発に掘削が行われていることが確認できました(写真–36)。
パライバ・トルマリンの採掘はパライバ州の鉱山と同じく新原生代の古い基盤岩(変礫岩など)に貫入したペグマタイト(写真–37)がターゲットですが、ムルング鉱山ではペグマタイトの風化(カオリン化)は進んでおらず、比較的硬い岩盤のままです。ペグマタイトはアルバイトが主体の長石、石英、白雲母、黒色トルマリン、ベリル、スポジュメンなどで構成されており、ごく希にパライバ・トルマリンが含まれています。今回視察した坑内の中ではわずか1か所でしかパライバ・トルマリンを発見することができず(写真–38)、改めてパライバ・トルマリンの希少性を体感することができました。
掘削された岩石は複数の段階を経て親指大くらいのサイズに分割され、大型の自動選別機に通されます (写真‒39)。2005年に訪問した際には総勢で60名ほどの女性スタッフがすべて手作業で選別を行っていましたので(文献–7)、機械化によって大幅に作業効率が上がっているようです。案内をしていただいた技術者の話によると、この選別機はパライバ・トルマリンの青色を認識して選別しており、97%以上の回収率だそうです。機械を通った砕石はさらに女性スタッフによる再チェックが行われていました(写真–40,41)。選鉱された残りの岩石はさらに細かく砕かれ、水洗いされて行きます(写真–42)。
このようにして採取されたパライバ・トルマリンは(写真–43)、管理された別棟で色や品質ごとに選別され(写真–44)、カット・研磨されます(写真–45)。2005年に訪問した際にはカット・研磨はすべてタイに送って行われていましたが、現在は自社加工できるようになっていました。原石の選別には10名弱、カット・研磨には20名以上のスタッフがかかわっており、相当量のパライバ・トルマリンの原石が処理されていました。ほとんどが小粒石でしたが、今回の掘削作業風景ではこれほどのパライバ・トルマリンが採掘されているようにも思えなかったので、複数の関係者に確認したところ、一部の原石は2004年〜2014年に採掘された過去のストックとのことでした。 ムルング鉱山産のパライバ・トルマリンはかつて相当量が日本国内に輸入されています。特に小粒石を複数あしらった製品などはほとんどがムルングのものです。今回、売り物の商品を見せていただいたところ、直径1–2 mm程度の小粒石にも一粒単位で値段がつけられるなど、全体的にかなり高額となっていました(写真–46)。また標本石も良いものは数千ドルとなかなか手が出るような値段ではありませんでした(写真–47)。
◆まとめ
パライバ・トルマリンは人気の高い宝石で、特にブラジル産は評価が高まります。この数年、銅の含有量の少ない淡青色のタイプも鑑別に持ち込まれるようになり、モザンビークやナイジェリア産との識別が困難なものが増加しています。ブラジルでは品質の良いものはすでに枯渇したなどとのうわさもあり、淡青色のパライバ・トルマリンの出所を確認する必要がありました。 今回の視察の結果、パライバ州のバターリャ(Batalha)鉱山では今のところほとんど産出はありませんでした。 グロリアス鉱山も近年産出はなく、今後の採掘が期待されます。 リオグランデ・ド・ノルテ州のキントス(Quintos)鉱山は10年以上前に閉山されたままですが、品質のやや劣る過去のストックが適宜カット・研磨されているようです。ムルング(Mulungu)鉱山はBrazil Paraiba Mineと名称を変えて活発に採掘が行われていましたが、カット・研磨されているものの一部は過去に採掘されたもののようです。
このようにブラジルのパライバ・鉱山ではBrazil Paraiba Mineを始め現在も操業されていますが、新たに採掘されたものに加えて過去の在庫が市場供給されているのが現状のようです。
◆謝辞
グロリアスジェムス有限会社の酒巻英樹氏には今回の視察の立案から旅程のすべてにおいてお世話になりました。Mineracao Heitorita社のSergio Barbosa氏とBrazil Paraiba Mine社のAldo Bezerra氏には鉱区の視察に便宜を図っていただきました。Marcelo Antunes Maia氏には通訳と現地におけるアレンジをしていただきました。株式会社ミユキの亀山卓哉氏、Glorious Mine社の皆様には旅程において終始お世話になりました。ここに記して感謝いたします。
◆文献
1.LMHC Information Sheet#6 Paraiba tourmaline version.7 Dec.2012
2.Beurlen H. (1995) The Mineral Resources of the Borborema Province in Northeastern Brazil and its Sedimentary Cover: A Review. Journal of south American Earth Sciences, Vol.8 (3–4), pp365–376.
3.Brendan J. M., Damian R. N., Keppie J., Jaroslav D. (2018) Role of Avalonia in the development of tectonic paradigms. Geological Society London Special Publications, 470(1).
4.Hsu T. (2018) Paraiba Tourmaline from Brazil the neon–blue burn. InColor, Vol.42(2), pp42–50.
5.古屋正司. (2007) パライバ・トルマリン–脳裏に焼きつくエレクトリック・ブルーの輝き. 宝石の世界, 日独宝石研究所.
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8.Furuya M. (2007) Copper–bearing tourmalines from new deposits in Paraiba state, Brazil. Gems and Gemology, Vol. 43, No.3, pp236–239.
9.江森健太郎., 北脇裕士. (2020) パライバ・トルマリン〜LA–ICP–MSを用いた組成分析と原産地鑑別 への応用. CGL通信, No.56, pp1–12.