CGL通信 vol73 「[特別寄稿]エチオピア産パライバ・トルマリンを手に入れろ」

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CGL通信 vol73 「[特別寄稿]エチオピア産パライバ・トルマリンを手に入れろ」

エチオピア産パライバ・トルマリンが話題になっています。不確かな情報も混在する中、現地を訪れ情報を取得してこられた方からCGL通信に特別寄稿を頂きました。さらに、CGLリサーチ室における原産地鑑別の可能性についての研究結果の記事もありますので、あわせてご覧ください。

2026年7月PDFNo.73

伽羅PLUS株式会社 代表取締役 岡部 裕一

エチオピアのパライバカラーのトルマリン

情報を追い越す行動力を

 2026年6月19日の夜、私(伽羅PLUS株式会社 代表取締役 岡部 裕一)はインスタグラムを通じて「エチオピアでパライバ・トルマリンが発見された」という情報を知った。スイスの鑑定機関(SSEF: Schweizerische Stiftung für Edelstein-Forschung)による正式な発表はその前日の6月18日。時差を考慮すると、発表の当日にはそのニュースが私の元に届いたことになる。
 インターネットの情報伝達の速さには、改めて驚かされる。便利である一方、情報過多でもあり、デマやフェイクが紛れ込む危うさも同時に実感する。それでも、興味のある情報は数日のうちに確実に飛び込んでくる。
翌6月20日には、信頼の置ける情報筋からグロリアス・ジェムス有限会社 代表取締役 酒巻 英樹氏のもとにも同様のニュースが届いた。専門的な領域でさえ、情報の初速はすでにSNSが上回っているのである。
 酒巻 英樹氏はパライバ・トルマリンの歴史を語る上で欠かせない人物だ。ブラジル・パレーリャスでのパライバ・トルマリン発見当時、いち早く現地に入り、日本への輸入を担った存在である。現在もその情熱は衰えることなく、私を含む5名でブラジル・パライバ州にて「GLORIOUS MINE」というパライバ・トルマリン鉱山の開発運営を行っている。現段階ではまだまだ調査段階で、商業的稼働には至っていないが、今後にご期待いただきたい。
すでにこの時点でインターネット上には情報が出回り始めていた。情報伝達のスピードは恐ろしく早く、またその未確定の情報が拡散、増幅していくスピードは加速度的に増しているように感じられた。インド人業者がすでに現地入りしているという話。多数のバイヤーが集結しているという噂。鉱山周辺は紛争地帯で立ち入り困難という情報。さらには「すでに買い占められており、今から行っても遅い」という声まであった。この時点では何が本当で、何がフェイクなのか?パソコンの画面上では判断がつかない状況であった。
 海外有力バイヤーや中央宝石研究所の北脇 裕士氏などからも情報を集めたが、やはりこの時点ではこれ以上の情報を集めることは困難だった。これはいち早く現地に直接出向かなければならない。できれば鉱山まで行ってみようというのが我々の目的となった。
 6月21日、私は本来であれば6月25日から別の海外出張を予定していた。しかし、酒巻氏の「私は全ての予定をキャンセルして、一日でも早くエチオピアに向かいます。」という発言に感化され、本来予定していた海外出張をキャンセルし、エチオピア行きを決断。航空券の手配とVISA申請を即座に行った。酒巻氏の「歴史的発見の土地へ一日でも早く行きたい」という情熱は誰にも止めることはできず、またこの判断に付き合える人物も自分ぐらいしかいないように感じていた。
 我々はまず、鑑別機材の確保と情報収集に集中した。トルマリンであること自体は目視でも判断できる。しかし、それが「パライバ・トルマリン」であるかどうかは別問題だ。銅の含有が確認されなければ、パライバとは呼べない。仮に銅を含んでいても、発色要因が鉄優位であればパライバ・トルマリンとは認められないのである。理想は蛍光X線分析装置やUV-Vis-NIR分光光度計だが、いずれも大型かつ高額で、海外持ち出しには許可も必要になる。現実的ではない。銅の有無を簡易的に判断できる方法はないのか、仲間内で手当たり次第に情報を当たった。
 簡易的に判断できる手段を模索する中で、株式会社ミユキ 代表取締役の亀山卓哉氏が同行を申し出てくれた。亀山氏は多言語を自在に操り、海外経験も豊富、まさに頼れる心強い先輩である。
 亀山氏は以前、中央宝石研究所の北脇 裕士氏が我々の「GLORIOUS MINE」を訪問した際にも同行してくれた人物で、詳しくはCGL通信vol.66「ブラジル/パライバ・トルマリン鉱山を訪ねて」を御覧いただきたいのだが、それ以来親交を深めている間柄である。
 正直、私以外に、本当に4日後の出発にアジャストしてくる人間がいることには少し驚きがあった。聞けば彼もまた25日から中国出張の予定だったのだが、その予定を調整することで中国から香港に渡り、合流が可能だとのこと。これで今回の旅は3人旅となった。3人になった我々パーティーはとにかく何か現地でパライバ・トルマリンの鑑別ができる機材がないか、北脇氏にも助言を求めつつ、ひたすらに鑑別機材の可能性について話し合った。そして簡易的な分光器で赤外領域の吸収を確認できる装置を発見する。
 日本で入手すると数日を要するが、中国なら即日受け取りが可能だという。ちょうど亀山氏が中国経由で合流する予定だったため、現地で機材を調達し、アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで落ち合う段取りが決まった。
 6月25日、私と酒巻氏は成田から、亀山氏は香港からエチオピアへ向け移動を開始した。情報を得てから実に6日後、これが最短の日程である。アブダビに到着したのは、日付が変わった深夜0時過ぎ。次のフライトは朝4時発。ここで亀山氏と合流、目的地はエチオピアの首都アジスアベバである。

アラブ首長国連邦のアブダビ国際空港。深夜の時間帯でも空港内部は混雑し、まさに眠らない空港でした。

 アブダビ空港からエチオピアの首都アジスアベバに到着して、ターンテーブルの前、いつまで経っても荷物が出てこない。二人は成田から、もう一人は香港からの乗り継ぎ。どちらもバゲージスルーで預けていることは事前に確認していた。それにもかかわらず、いくら待っても出てこない。いわゆるロストバゲージである。
 カウンターで確認すると、「荷物が積みきれなかったため、次の便で到着する」とのこと。正直「そんなことあるのか?」という気持ちにはなったが、とにかく荷物はまだアブダビにあるらしい。ホテルまで届けてもらう手配を済ませ、ようやく空港の外へ出る。
 アジスアベバは標高が高く、空気はひんやりとしていて非常に過ごしやすい。アフリカといえば灼熱の大地というイメージが強いが、ここはまったく違う。夜は肌寒く、昼間でも半袖の人とダウンジャケットを着ている人が混在している、そんな不思議な気候だった。

エチオピアのアジスアベバ上空。果たしてこの地にパライバ・トルマリンは存在するのでしょうか。


アジスアベバのボレ国際空港でロストバゲージのためカウンターに並ぶ人々。

アフリカ最大のハブ空港である、ボレ国際空港ですが、意外と簡素でシンプルです。

 アジスアベバでは事前に一人の宝石商と会う約束をしていた。この宝石商はブラジルの酒巻氏の友人からの伝手で紹介してもらった人物である。彼はとても紳士的で誠実で、彼のおかげで我々の調査及び仕入れがうまくいったといっても過言ではない。
 また、今回出会ったエチオピア人に限って言えば、丁寧で落ち着いた対応をしてくれる人が多く、非常に居心地が良かった。もちろん、これはたまたま良い人たちに恵まれただけかもしれないし、どの国にも良い人もいればそうでない人もいる。それでも、今回の経験を通じて抱いたエチオピア人への印象は非常に良く、気がつけば「また訪れたい」と思える、好きな国の一つになっていた。

アジスアベバのホテル内にある伝統的なカフェ。笑顔で写真撮影に応じてくれました。エチオピアのコーヒーは本当に美味しいです。

エチオピアの伝統的な料理「インジェラ」です。一枚のプレートを皆でシェアするのが一般的。

エチオピア産パライバ・トルマリンの実在論

 本当にこの国にパライバ・トルマリンは存在するのだろうか?そして、それをすぐに見つけることはできるのだろうか?結論から言えば、この不安は杞憂に終わった。現地の宝石商がすでに有力なブローカーと連絡を取っており、到着からわずか数時間後には「パライバ・トルマリンと思われる原石」を数多く確認することができたのである。
 しかし、ここで大きな問題が立ちはだかる。肝心の機材がない。我々の荷物はロストしているため、亀山氏に中国から運んでもらった分光器も届いていない。つまり、目の前にある石が本当にパライバ・トルマリンかどうかを科学的に判断する手段がないのである。目視ではパライバ・トルマリンに見える原石でもパライバ・トルマリンと認められるためには、単に色が美しいだけでは不十分である。銅(Cu)が含まれていること、そして発色の主因が鉄ではなく銅であること、この条件を満たして初めて「パライバ」として認定される。
これまでの情報でも、「銅は含まれているが鉄分優位のためパライバと認められない」という例がいくつも報告されていた。つまり、色だけでは絶対に判断できない。
 実際に持ち込まれる原石の中には、肉眼でも明らかに「ただのトルマリン」とわかるものも少なくない。正直なところ、この時点では多くのエチオピア人がパライバ・トルマリンというものを正確に理解しているとは言い難い状況だった。中にはパライバ・トルマリンの色が何色かを知らない業者さえ存在した。「これはパライバだ」と言いながら、色とりどりのトルマリンを次々と差し出してくる。

初日にアジスアベバで確認することのできたトルマリンの原石。明らかに通常のトルマリンが混じっていますが、中にはパライバカラーの物もあり、期待が高まります。

 彼らが知っているのは、ただ一つ「この石は高く売れるらしい」ということだけだった。とはいえ、それも無理はない。これまでパライバとは無縁だった土地に、まるで突然降って湧いたような話なのだから。値段に関しては強気も強気、現地に行けば安く買えるなどとは思わないほうがいい。彼らの提示する金額はブラジル産の数倍、場合によっては数十倍から百倍以上の場合もあったのである。研磨にも適さないクオリティの石にまで法外な価格が付けられていては、ビジネスは成立しない。
我々はまず、ブラジルで実際にパライバ鉱山を運営していることを伝え、提示されている価格がいかに市場とかけ離れているか、場合によってはブラジル産の数十倍にもなっていることを丁寧に説明した。焦って買うのではなく、まずは信頼関係を築くこと。だが現実問題として、機材がない以上、大きく動くことはできない。
 この日、原石そのものは数多く確認できたものの、肝心の機材が届いていないため、購入には至らなかった。無理に動くよりも、これまで集めてきた情報を徹底的に精査することにした。

比較的大粒なパライバと思われる原石。ですが、この時点では機材もなく確信は持てませんでした。何より値段が途方もなく高いです。

このようなバイカラーの原石も多数確認できました。これは原石の状態でも素敵です。

まず大きな進展は、産地の特定である。当初あたりをつけていた鉱山の街・シャキソで間違いないことが確認でき、さらに詳しく調べると、シャキソ近郊の「アブロ」という小さな町に絞り込むことができた。本来であれば、すぐにでも現地の鉱山へ向かいたいところだった。しかし、この地域は現在も内戦の影響下にあり、一定エリアより先は外国人の立ち入りが禁止されている。安全面を考慮して、今回は断念せざるを得なかった。

エチオピアのパライバ・トルマリン関連地図

 そして、もう一つ、非常に興味深い、そして予想外の情報があった。それは産出される土壌の違いである。ブラジルのパライバ・トルマリンといえば、白いカオリン質の地層から採掘されるのが一般的だ。しかしエチオピアでは、なんと赤土の土壌から採掘されているという。北脇氏にこの事実を伝えると、これは二次鉱床である可能性が高い、結晶自体は摩耗していない事を考えると一次鉱床からほど近いのかもしれないとの意見をいただいた。

動画でも確認しましたが、鉱床は赤土。その証拠に原石にも赤土が付着しています。

 さらに流通に関する情報も見えてきた。最初の発見はおよそ6ヶ月前。発見者はソマリ人で、当初はこの石の価値を理解しておらず、比較的安価で市場に流していたという。その一部がバンコクへ渡り、結果として一定量がすでに国際市場に流通していることがわかった。公式に「パライバの可能性」が示されたのはごく最近のことだが、実際には2026年の初めにはすでに採掘・流通が始まっていたということになる。 

一方で、日本で事前に仕入れていた情報については、いくつか修正すべき点も見えてきた。特に大きかったのは、「すでに現地には多数の海外バイヤーが入っている」という話である。実際にアジスアベバに来てみると、確かに海外の業者は存在している。しかしその数は、当初想定していたよりも明らかに少ない。
我々自身も、ブラジルを含めパライバ・トルマリンの取引でつながりのある海外業者たちと情報交換を行っているが、少なくとも今日の時点では、それ以外のプレイヤーはほとんど入っていないのではないかという結論に至った。結局のところ、経験に裏打ちされていない情報は、信じるに値しない。そう強く感じた一日だった。
翌日、当初の目標は鉱山へ向かうことだったため、本来であればこの日に移動していてもおかしくはなかった。しかし、現地で改めて情報を集めても、やはり鉱山エリアには立ち入れないという結論は変わらなかった。
 加えて、ロストバゲージの問題もある。荷物が届いていない状態でアジスアベバを離れるわけにもいかない。結果として、この日も引き続き原石の確認に時間を使うことになった。ロストしている荷物は、順調なら昼にはホテルに届く予定。それを受け取ってから、今後の動きを決めようという流れである。

中にはパライバ・トルマリンだと思われる原石も混ざっています。この中から銅が含まれていて、色がキレイでさらにカットに適する石を探します。

この手のひらに乗る量のトルマリンで、相当な高額提示されました。中には当然普通のトルマリンも含まれています。根拠なく買うことはできません。

 マーケットの状況は、前日と大きくは変わらない。相変わらず、提示される原石の価格はクレイジーの一言だった。しかし、変化もあった。我々がブラジルで鉱山を運営しており、パライバ・トルマリンの相場に精通していると伝わると、中には明らかに態度を軟化させる業者も現れ始めたのである。
ある程度、価格の折り合いが見え始めたそのタイミングで、ついにロストしていた荷物がホテルに届いた。中に入っているのは、今回持参した分光器。待ち望んでいたはずの機材。だが同時に、不安もあった。この分光器は本来、鉱物鑑別専用ではない。本当に銅の含有を読み取れるのか、その保証はどこにもない。それでもやるしかない。想像を巡らせ、光の当て方を変え、角度を調整し、試行錯誤を繰り返しながら原石を一つずつ分析していく。導き出された結果は上々だった。完全ではないにせよ、明確な根拠を伴うデータを得ることに成功したのである。我々はすぐに、中央宝石研究所の北脇氏と情報を共有し、返ってきた答えは、「パライバ・トルマリンである可能性は極めて高い」
 このエチオピアの地にパライバ・トルマリンが存在することを確信した瞬間である。

真剣に原石を精査する我々。我々の目に写るものはパライバ・トルマリンだけです。

我々の持ち込んだ機材が期待通りの仕事をしてくれました。この結果を見る限り、鉄よりも銅が優位であると読み取れます。もちろん簡易的な機材ですので油断はできません。

我々が一日がかりで仕分けしたパライバ・トルマリンです。これをカットするのが楽しみでもあり、不安でもあります。

エチオピアの地で我々ができること

 この日の夜は、海外バイヤーたちとの食事が待っていた。最短で判断を下し、現地入りしていたのは、我々だけではなかった。
 世界的に名の知れた業界の先達たちと直接話す機会。それだけでも大きな収穫だが、それ以上にエチオピアを取り巻く最新の状況、そしてパライバ・トルマリンに関する生の情報を得られたことは大きかった。話題の中心となったのは、鉱山周辺の状況について。そこはまさにゴールドラッシュさながらの光景。多くのエチオピア人が押し寄せ、一攫千金を狙っているという。さらに、鉱山周辺はやはり外国人立ち入り禁止区域となっているらしい。
「なんとか入れないか?」
 そう食い下がる我々に対し、現地のエチオピア人たちは一様に首を振った。
「危険すぎる。絶対に行けない。」
 では、どこまで行けるのか。答えは一つだった。アジスアベバから南へ約260kmアワッサ。
アワッサは、美しい湖を持つ観光地であり、皆が口を揃え安全な街だという。
 そして、海外バイヤーの話では、すでに多くのバイヤーがアワッサに集まっているらしい。
アジスアベバでバイヤーの姿をあまり見かけない理由は、そこにあったのかもしれない。だがここでも、情報は一枚岩ではなかった。
 現地の人間は言う。「アワッサにパライバの原石はない」
 一方で海外バイヤーは言う。「バイヤーはみんなアワッサに集まっている。」
 結局のところ、行ってみなければ分からない。アワッサまでは車で約5時間。酒巻氏が言った。「じゃあ、明日行きましょう。」
 歴史は今まさに、生まれている。ならばせめて、その“現場”に一歩でも近づきたい。その思いが、我々を前へと動かしていた。
アジスアベバからアワッサまでは車で約5時間。現地の人間も、海外バイヤーたちも、口を揃えてこう言っていた。「夜の移動は危険だ」
出発は14時頃。決して余裕のある時間ではないが、なんとか明るいうちに街の近くまでは辿り着けそうだ。
進むにつれて景色が変わっていく。標高が徐々に下がり、植生も明らかに違ってくる。サボテンが現れ、遠くの山の稜線には巨大な風力発電の風車が並ぶ。その光景を見た瞬間、ふと思った。 
「ブラジルのパライバ州と、ほとんど同じだ。」
 目指しているのは同じパライバ・トルマリン。そして、目の前に広がる風景まで似ている。道中では、さまざまな動物の姿も見えた。コンドル、ラクダ、牛、馬、ヤギ、そしてハイエナ。
 高速を降りたその瞬間、なぜ夜間走行は危険なのか?という疑問の答えが明らかになった、一般道に入った途端、景色が一変する。道路の至る所に、陥没した穴。それも一つや二つではない。車はそれらを避けながら、右へ、左へと蛇行するように進む。その揺れの中で、はっきりと理解した。「これは、夜は無理だ。」視界が利かない状態でこの道を走るのは、確かに危険すぎる。

アフリカの夕陽は美しい。しかし、日が沈む前にアワッサへと着かなければいけません。

 昨晩、日が落ち始める頃、なんとかアワッサの街に到着した。宿は決して高級ではない。シャワーは水しか出ないし、電気も時折ふっと落ちる。決して快適とは言い切れない。それでも不思議と、不満はなかった。スタッフは親切で、対応も丁寧。どこか穏やかで、安心感がある。街を歩けば、牛や馬、ヤギが普通にいる。だが、あれだけ動物がいるにもかかわらず、動物の糞を、一度も見ていない。エチオピアに関しては衛生観念の高い国という印象を受けた。それは、日本にいるときに抱いていた“アフリカのイメージ”とは大きく異なるものだった。
 昨晩は到着した時点ですでに薄暗く、街の様子をじっくり見ることはできなかった。ただ一つ分かっていたのは、ここが湖のほとりの小さな街だということ。そんな街に、本当にバイヤーが集まっているのか?少なくとも、我々の泊まっているホテルには外国人の気配すらない。

我々がアワッサで滞在したホテル。とても居心地のよい場所でした。
アワッサは静かな湖畔のリゾート地です、この地に宝石商は集結しているのでしょうか?

 エチオピア人のパートナーは、朝からずっと電話をかけ続けている。
 だが、返ってくる情報はどれも同じだった。
・シャキソには業者がいる
・だがアワッサにはいない
・それどころかアワッサの業者もシャキソに行っている
 つまり「ここには、いない。」
 「さて、どうするか。」議論の末、「宝石商はいいホテルに泊まっているはずだ。」ならばこの街で一番いいホテルに行けば、会えるのではないか?自分たちが安宿に泊まっていることは、一旦きれいに棚に上げた。今振り返れば、なかなかに頭の弱い作戦である。我々は街にある高級リゾートホテルを回ることにした。
 やはり、「この街に宝石商が押し寄せている」という話は、デマだったのではないだろうか。
薄々わかってはいた。だが、それを認めるにはまだ早い気もしていた。やはり鉱山まで行かなければ、これ以上のパライバ・トルマリンには出会えないのだろうか。そんな半ば諦めのような気分で、我々は2件目のリゾートホテルのエントランスをくぐる。その瞬間だった。視界に、明らかに異質な存在が居る。外国人男性が二人。どう見ても観光客ではない。その空気感は、これまで見てきたファミリー客とはまるで違っていた。我々は少し距離を取り、様子をうかがう。どうやら誰かを待っているようだ。意を決して、話しかける。

こちらはエチオピアの通貨ブル。我々は滞在中1円=1ブルだったので計算はとても楽でした。

 結果は的中。彼らは宝石商だった。
 「アジスアベバでは値段が高い。でもアワッサなら安く原石が手に入ると聞いたんだ。」
 そして少し肩をすくめて続ける。「でも実際は、そこまで安くもないね。」
 やはり、そうか。考えることは皆同じだった。
 「他のバイヤーは見かけたか?」
 「アジスアベバはどうだった?」
 情報交換が始まる。そして、ひとつの現実がはっきりしていく。やはり、この街に大勢のバイヤーが押し寄せているという事実は、なさそうだ。
 結局、この日、我々が出会えた宝石商は彼ら二人だけだった。それどころか、外国人の姿自体ほとんど見かけなかった。湖畔の静かな街、アワッサ。そこには「噂」だけが先に到着していた。そんな中、ようやく動きがあった。エチオピア人のパートナーが、数人の宝石商とのコンタクトに成功。そしてホテルで現地ブローカーと会う約束を取り付けた。

我々が宝石商を探して巡ったリゾートホテルです。外国の人を見かけても、全てが宝石商というわけではありません。基本的には観光客です。

 アワッサで実際に見た原石はどうだったのか。
・量は少ない
・価格は高い 
 つまりアジスアベバ以下。期待していた“何か”は、そこにはなかった。パライバ・トルマリンを仕入れるのであれば、アジスアベバで十分である。復路に5時間。我々は再び来た道を引き返し、アジスアベバへと戻ることにした。
 エチオピアの地方都市から戻ってきた我々にとって、アジスアベバは巨大な都市に見えた。もちろん、冷静に見れば日本の都市と比べて特別大きいわけではないのかもしれない。それでも街の空気が違う。街は至るところでクレーンが動き、ビルが建ち、道路が広がっていく。それはまさに、成長の真っ只中にある都市の姿だった。どこか、説明のつかない熱量。この街には、“これから何かが起こる”気配があった。 
 そんな中、我々はパライバ・トルマリンをひたすら見続ける。時折、サファイアやエメラルドも持ち込まれる。だが、我々の視線は動かない。興味は、完全に一つに絞られていた。もしかすると、すでにこの石に魅入られていたのかもしれない。石を見て、分析し、そして価格交渉。その繰り返し。中には相変わらず、現実離れした“クレイジーな値段”を提示してくる業者もいる。だが一方で、こちらの予算の範囲で、現実的な価格を提示してくれる業者も現れ始めていた。
 これは我々の交渉の成果でもあるだろう。
 だが、それ以上に大きかったのは、エチオピア人パートナーの存在だった。彼はひたすら連絡を取り続け、ブローカーと繋ぎ、通訳をし、そして時には「その価格は高すぎる。これ以上は出すな」と、はっきりとブレーキをかけてくれる。単なる仲介ではない。同じ側に立ってくれている人間の動きだった。 
異国の地での取引は、情報と信頼がすべてだ。その両方を支えてくれていたのが、彼だった。

夜のアジスアベバの街並み。開発のまさにど真ん中という感じで街の発展を肌で感じられます。

アジスアベバの都会的雰囲気は一部に限られ、まだまだ私達が想像するアフリカがそこにはあります。

途中持ち込まれたエメラルド。一見して高品質な原石は見られませんが、時間があればエメラルドもじっくり見てみたいです。
同様にして持ち込まれたサファイアの原石。今回の目的がパライバ・トルマリンでなければじっくりと見てみたいと感じました。しかし、我々の目にはパライバ・トルマリンしか入ってきません。

エチオピアに広がりだしたパライバカラーの未来

 我々はそれなりの量のパライバ・トルマリン原石の仕入れに成功した。もちろん、この原石が利益を生むかどうかは別の話だ。だが少なくとも、当初の目的は果たした、そう言っていいだろう。まずは、エチオピア産パライバ・トルマリン原石のサンプルを日本に持ち帰る。それが今回のミッションだった。
 
 この青く美しい石はこれからどんな運命を辿るのだろうか。大量に産出し、市場に溢れ、価格が大きく崩れる可能性もある。あるいは、認知が広がり、需要が増え、価値が一段と押し上げられる可能性もある。
 次に動くのは市場だ。おそらく、次のバンコクショーや香港ショー、そして来年のツーソンショーの頃にはカットされたエチオピア産パライバ・トルマリンが並び始めるだろう。その時、何が起きるのか。そして、ブラジル産パライバ・トルマリンの“王座”は揺らぐのか。考えるべきことは、尽きない。だが未来は、まだ誰にもわからない。だからこそ今は、持ち帰る。日本へ。この石の“最初の一歩”を、自分たちの手で確かめるために。
 あの鮮烈な青。まだ誰も知らない価値を秘めた、エチオピア産パライバ・トルマリン。この“青の可能性”たちが、最大限の輝きを放つその日を信じて。我々は日本へと帰る。
 帰国後、私たちは持ち帰ったエチオピア産原石のサンプルを携え、即座に中央宝石研究所の北脇氏のもとを訪れた。情報が溢れる現代だからこそ、画面越しではなく、自らの足で現地に立ち、自らの目で確かめる。より精密な検査を進め、エチオピアのパライバ・トルマリンに関する真実が証明されることを信じて。


(中央)酒巻 英樹(さかまき ひでき)/グロリアス・ジェムス有限会社 代表取締役
1980年代からパライバ・トルマリンの国際取引に携わり、ブラジルでの発見当初より現地買付と日本市場への紹介に尽力。現在はブラジル・パライバ州で「GLORIOUS MINE」の共同開発に参画し、新鉱床の探査を進めている。
2026年にはエチオピアの新産地にもいち早く赴き、調査と仕入れを実施。長年にわたり世界各地の産地を訪れ、希少宝石の調査・普及に取り組んでいる。

(右)岡部 裕一(おかべ ゆういち)/伽羅PLUS株式会社 代表取締役
ダイヤモンド卸業者での勤務からキャリアをスタートし、宝石業界における経験を積む。宝石の輸出入・卸・小売をはじめ、企画デザインや製造まで幅広く手がけるほか、ミャンマーに事務所を構え、酒巻氏とともにブラジル・パライバ州にてパライバ・トルマリン鉱山「GLORIUS MINE」の共同開発に参画。鉱山開発からジュエリー販売に至るまで、一貫した事業展開を行っている。
「ロマンを食べて生きていく」を信条に、世界各地から希少な宝石を収集している。

(左) 亀山 卓哉(かめやま たくや)/株式会社ミユキ 代表取締役
GIAカールスバッド本校でG.G.課程修得後、ニューヨーク47番街でダイヤモンド業者に勤務。その後、国内のダイヤモンド業者を経て、大手テレビ通販向けのメーカーに入社。カラーストーン調達現地責任者としてタイ、中国に駐在。この時期に培ったカラーストーンの厳選技術、ネットワーク、語学力が現在の基盤となる。帰国後、父親の経営する会社に入社し、代表取締役として現在に至る。バンコクに事務所を構え、各種宝石の原産地及び集散地での買付、ルース販売、製品製造企画および研磨業務を行う。