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平成20年宝石学会(日本)「こはく、コパルの加熱実験レポート」

藤田 直也

最近こはく、コパルに関する話題が多く見受けられます。実際にみたこともないような商品が鑑別に持ち込まれるケースも増えてきました。こはく・コパルは化石化した樹脂であり、有機物なので様々な方法で加工が行われることが容易に予想できます。
以前にも本誌でこはく、コパルに関する実験の報告を致しましたが(134号参照)、今回はさらに違った手法で実験しましたので、その結果を報告致します。

実験その1 加圧加熱実験

写真1 加圧加熱実験装置

写真1 加圧加熱実験装置

こはく、コパルに圧力をかけた状態で加熱するとどのように変化するのかを実験しました。実験器具は家庭用の圧力鍋を用い、120℃で2時間、2気圧をかけて加熱しました(写真1)。
圧力鍋の中は常に高温、高圧の水蒸気で満たされた状態です。

使用したサンプルは、すでに加熱を受けているバルチック産のこはく(写真2、上2個)と、気泡の多いバルチック産のこはく(写真2、下2個)、産地不明のコパル(写真3)の3種類でした。

写真2 加圧実験前の加熱こはく(上)気泡の多いこはく(下)

写真2 加圧実験前の加熱こはく(上)
気泡の多いこはく(下)

写真3 加圧実験前のコパル

写真3 加圧実験前のコパル
 

2時間加熱した後取り出してみると、写真4のようになっていました。上2個のすでに加熱を受けているバルチック産のこはくは、かなり褐色になっています。下2個の気泡の多いバルチック産のこはくは全体的に白くなり、産地不明のコパルは変形しました(写真5)。

写真4 加圧実験後の加熱こはく(上)気泡の多いこはく(下)

写真4 加圧実験後の加熱こはく(上)
気泡の多いこはく(下)

写真5 加圧実験後のコパル

写真5 加圧実験後のコパル
 

コパルの耐性はこはくに比べると弱く、加圧してある場合、割と低い温度で容易に変形してしまうことがよくわかります。また、コパルは色も少し褐色になりました。
では、すでに加熱を受けているこはくは褐色化が進むのに対し、同じ産地でも気泡の多いものは白くなっているのはなぜでしょうか。
この実験では高圧下の水蒸気がこはくの表層に何らかの影響を与え白く変質したのだと思われます。すでに加熱を受けているこはくは、もともと加熱されていたためにそのような反応は起こらず、熱による褐色化がよりすすんだだけだと考えられます。

実験その2 減圧加熱実験

写真6 減圧加熱実験装置

写真6 減圧加熱実験装置

次に、減圧して加熱するとどうなるのか実験してみました。実験装置は、凍結・乾燥用真空冷却・加熱装置(10008型・リンカム社製)(写真6)を用いました。この装置は、ラマン分光分析で冷却測定を行う際に使用する装置なのですが、冷却だけではなく加熱にも用いることができ、また-190℃まで冷却できる装置ですので、試料の周囲を真空にすることもできます。使用したサンプルは先ほどとほぼ同じで、すでに加熱を受けているバルチック産のこはく(写真7、上2個)と、気泡の多いバルチック産のこはく(写真7、下2個)、産地不明のコパル(写真8)の3種類で、150℃で2時間、真空の状態で加熱しました。

写真7 減圧実験前の加熱こはく(上)気泡の多いこはく(下)

写真7 減圧実験前の加熱こはく(上)
気泡の多いこはく(下)

写真8 減圧実験前のコパル

写真8 減圧実験前のコパル
 

加熱したあと取り出してみると、写真9、10のようになっていました。産地不明のコパルは、減圧した状態でも変形しました(写真10)。このことから、コパルは加圧、減圧どちらの状態においても、ある程度の熱が加われば変形することがわかります。表面は加圧加熱したときに比べるとそれほど変質していないように見えましたが、少し変質していました。
こはくに関しては、減圧して加熱するとこはく自体がやわらかくなり、中に入っている気泡が外に出て気泡が少なくなると予想していましたが、今回の実験では逆に気泡が大きくなっていました。気泡の多いバルチック産のこはくは気泡があつまり大きくなっていましたが、もともとほとんど気泡のみられなかったすでに加熱を受けているバルチック産のこはくにまで、顕微鏡で拡大すると確認できるほどの大きさの気泡がみられました。これは加熱する時間が2時間と短すぎたため、気泡が外に出る段階の前、つまり気泡が集まっているところで時間切れになってしまったのではないかと思われます。また、写真ではわかりにくいですが、どちらのこはくも色の褐色化が少し進んでいました。

写真9 減圧実験後の加熱こはく(上)気泡の多いこはく(下)

写真9 減圧実験後の加熱こはく(上)
気泡の多いこはく(下)

写真10 減圧実験後のコパル

写真10 減圧実験後のコパル
 


実験その3 放射線処理実験

写真11 放射線照射装置

写真11 放射線照射装置

最後に、こはくに放射線を当てるとどのように変化するのかを実験してみました。放射線の照射実験は、当社のラボでも行うことが出来ないため、日本原子力研究開発機構の高崎量子応用研究所で実験を行いました(写真11)。線源にはコバルト60を用いて、それぞれ15kGy(キログレイ)、30kGy、60kGy、120kGyの放射線を照射しました。今回も3種類のサンプルを用意しました。

写真12の4個がすでに加熱を受けているバルチック産のこはく、写真13の4個が気泡の多いバルチック産のこはく、写真14が産地不明のコパルです。

写真12 放射線実験前の加熱こはく

写真12 放射線実験前の加熱こはく

写真13 放射線実験前の気泡の多いこはく

写真13 放射線実験前の気泡の多いこはく

写真14 放射線実験前のコパル

写真14 放射線実験前のコパル

照射実験の後取り出してみると、写真15~17のようになりました。どの石も右に行くほど放射線を照射された量が多くなっています。すでに加熱を受けているバルチック産のこはくおよび気泡の多いバルチック産のこはくはかなり褐色化が進んでいました。どちらも照射を受けた量に比例して褐色化が進んでいることがわかります。コパルも同様に褐色化が進んでいますが、実験その1・その2と一番異なる点は、コパルが原型をとどめている点にあります。これは、コパルが放射線では軟化しないことを表しています。

写真15 放射線実験後の加熱こはく

写真15 放射線実験後の加熱こはく

写真16 放射線実験後の気泡の多いこはく

写真16 放射線実験後の気泡の多いこはく

写真17 放射線実験後のコパル

写真17 放射線実験後のコパル


今回の実験結果

1.水蒸気で満たされた状態で加圧、加熱を行うと、表面が白くなるものがあるということです。この表面についた白い物質を赤外分光光度計(FT-IR)を用いて計測すると、構造はこはくのままでした。まったく別のものに置き換わったというわけではなさそうです。

2.コパルは熱に弱いということです。減圧した場合でも、加圧した場合でも、外形がかなり変形しました。表面も少し変質している箇所がありましたが、FT-IRを用いて計測すると構造はコパルでした。

3.減圧して加熱する場合、ある程度長い時間をかけないと気泡は逆に大きくなってしまうということです。もう少し温度を上げればこはくがより軟化し、気泡が外に出る時間も短縮されるかもしれませんが、温度を上げる分だけ褐色化もより進むことが予想されます。

4.こはくにある程度強い放射線を照射すると、褐色化が進むということです。ただ、加熱処理と違い放射線を照射するにはある程度の施設が必要であり、加熱処理で十分な効果が得られるのであれば、加熱処理を選択したほうが賢明だと思われます。

5.コパルにある程度強い放射線を照射すると、原形をとどめたまま褐色化が進むということです。またその褐色化は、照射した量に比例して強くなりました。これは他の実験ではなかった効果です。しかし、構造はコパルのままでしたので、耐久性には難があるといわれても仕方がないと思われます。

こはく、コパルは宝石の中でも大変特殊なものであり、これからも様々な処理が行われていくと考えられます。こはく、コパルの性質を正確に把握するためにも、今回のような実験を重ねていくことで、鑑別方法の確立の一助になればと思います。

注意

今回の実験は十分安全な環境において行われております。個体によっては、内部の気泡等が加熱時に破裂し、やけどを負う恐れもありますので、決して真似をしないようお願いいたします。

小売店様向け宝石の知識「エナメル3」

エナメル・THE ENAMEL 3

日本ではエナメルは七宝焼と呼ばれ、日本古来の焼き物と思われているようだ。しかし実はすでに紀元前1700年頃の古代メソポタミアや紀元前1500年頃の古代エジプトでエナメル宝飾品が作られており、遺跡からたくさんのエナメル宝飾品が発見されている。

ヨーロッパでは、ビザンチン時代にキリスト教の教会聖具にエナメル装飾が施されて盛んに生産されていた。当時フランスのリモージュ地方はエナメル加工の中心地として繁栄し、ここからヨーロッパ全域にエナメル宝飾技術は伝播していった。

東洋へはシルクロードを通って、中国・朝鮮を経て日本に伝わったと考えられる。中国では唐時代から七宝焼が見られ、明時代に盛んになり、その当時の技術が現在も温存され生産されている。日本では七宝焼は奈良時代の明日香村古墳の中から発見されており、正倉院南倉の御物なかに七宝焼が施された鏡などがある。この七宝焼デザインは、現在皇居の新宮殿に、これを模したものが壁飾りになって使われている。

ここで七宝焼の歴史について考察してみよう。七宝という言葉は仏教に由来する。仏教といえばインドである。古代からインドは宝石の宝庫であった。仏典によれば、十四種類の宝石があったことが記されている。古来、財宝の一番上の位置にあるのは金、銀であり、宝石の中では、サファイアが最高のあこがれであった。当時ダイヤモンドはずっと下位にランクされていた。何故ならダイヤモンドは硬すぎて研磨する方法がなかったからだ。ただし、ある方向に割れる劈開(へきかい)の性質は知られていたようだ。

そして、これらの多くの財宝・宝石の中から代表として七種が選ばれ、七宝(しっぽう・ただしくはしちほう)と呼び、これを人々は無上に尊んだのである。七宝とは、金、銀、瑠璃(るり)、しゃこ、瑪瑙(めのう)、琥珀、真珠などのことである。

仏典の一節には、「極楽浄土は、七宝の池あり八功徳水が充満し、底は金をもって敷けり。四辺には、金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、しゃこ、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)など七宝樹林に囲まれ、白色、赤色、青色、黄色など虹色に光り輝けり。極楽は、功徳荘厳なり」と記されている。釈迦は、人々が求める七つの財宝に托して、人の世の教えを導かれたという。七種の宝物(七宝)は仏教経典により差異がある。

古来日本では、金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)、真珠などは、宝玉・宝物・財宝ということで,今日的な宝石という意味ではないようだ。非常に珍しい物という意味で、七珍(しちちん)ともいわれる。因みに、わが国で宝石という概念が出てきたのは文明開化した明治以降で、その価値が世の中に次第に分ってきたのは昭和に入ってからだ。ほんとうに宝石とは何か、宝石の知識・情報が一般の人々に浸透し、宝石について基本価値が確立したのはここ過去60年間で、実に戦後からといえる。

わが国には、昔から石にはアニミズム(Animism)の対象として神霊が宿るという万有霊魂説があり、石の宗教があった。珍しい石を集め、床の間や神棚にお供えする習慣があったようだ。石は「いわう」を意味し、神を祭り祝うことがなまったものである。石の神は人の幸せをもたらす。「人」と「石」の縁起は昔から伝承されている。

さて、わが国の七宝焼は平安時代から中世まで作品はほとんど残っていない。桃山時代に入ると盛んに作られるようになり、慶長年間(1596~1615)、京都の平田彦四郎道仁は朝鮮半島の工人から七宝焼の技法を学んだといわれ、名古屋城のふすまの引き手、釘隠し、刀のつばなどに名作がある。平田道仁は、江戸幕府のお抱えの七宝師として刀剣小道具などの七宝装飾品の製作に活躍した。平田家は実子のうちのひとりだけに奥義を伝える門外不出の一子相伝とし、十一代にわたり、七宝焼の秘法を家伝として明治以降まで代々継承した。初代の道仁、通称彦四郎の名前は平田家代々に襲名された。近世の七宝は象嵌七宝がほとんどだが、平田家では模様の中に金線を取り入れて、有線七宝〔クロワゾネ〕にあたる技法や、透明な釉薬を新しく使い、当時としては革新的技術を独自開発していた。

十代目平田彦四郎道仁は、明治政府から特注を受け、日本の七宝勲章第一号の旭日章を鋭意製作し、その出来栄えは素晴らしかった。現在のメダル・バッジの七宝技術発展に大きく寄与した。またその後の七宝焼ジュエリーへの道を拓いた功績は大きい。

「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊

ワールドニュース(2008.11)

いま宝飾業界は未曾有の不況の中ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今回は世界3大油絵生産地である中国編深市「大芬村(だいふんむら)」についての掲載とクリスマスを目前に控え緊急企画のご提案です。

中国 深市編

市(しんせんし)は中華人民共和国広東省の省都・広州市から南南東に位置する副省級市であり、珠江デルタ地域に含まれる。現在、深市は羅湖区・福田区・南山区・塩田区・宝安区・龍崗区・光明新区の7つの区を管轄している。香港の新界と接し、総面積は1,952.84平方キロメートル、うち経済特区は395.81平方キロメートル(東京23区の約半分)である。2007年深市の常住人口は約861.55万人であり、一人当たり国内総生産額(GDP)は10,628米ドルにのぼり、中国では、香港(23,125米ドル)・マカオに次いで所得が高く中国国内都市の首位となった。貿易輸出額は1,673億米ドル、前年比22.9%増加で、15年連続で全国のトップをキープしている。

中国 大芬油絵村編

大芬村の中心にある印象派や現代美術の大壁画

大芬村の中心にある印象派や現代美術の大壁画

大芬村(だいふんむら)は、中国深市龍崗区布吉にある市制の下の行政区域。1989年に香港の画商が家賃の安さと輸出の便利さに着目し、画工十数人を使って生産を始めた。程なくして安価な油絵は評判を呼び、工房は次々に増え続けた。面積わずか4平方キロメートルの場所に当初200人程度だった人口は、現在では画廊や工房など700軒が密集、画工3,000人が住み着き、日夜、名画の写真を見ながら複製画を描き続けている。表通りは洒落た画廊街となった。
美術工芸を通じて現在10,000人を超える人口に成長した「大芬油絵村」は、数年前、村おこしの成功例として中国政府から「文化発展モデル基地」に指定され、福建省蒲田市・福建省アモイ市の烏石浦村と並ぶ、世界3大油絵生産地のひとつとなった。
西洋油絵の複製作品を作ることは特に有名であるが、模写に問題のない著作権の保護期間を過ぎた印象派やゴッホ、ゴーギャンらの作品(著作権の保護期間は作者の死後50年)や、それに混じってピカソなど死後50年未満の作品や現代作家の作品の模写もたくさんあり、これらは明らかに著作権法違反である。しかし、複製画としての出来栄えはどれもすばらしいものであった。

画商の販売現場

画商の販売現場

大芬油絵村の入口の巨大モニュメント

大芬油絵村の入口の巨大モニュメント


クリスマス緊急企画のご提案

現在、私ども宝飾業界は未曾有の不況に陥っています。その中で価格の改定や新商品の開発を行ない店頭の活性化を図っておりますが、それもお客様には届いておらず来店数には結びついていないのが現状ではないでしょうか。ただ結婚関連商品エンゲージ・マリッジリングは2010年の結婚数の頂点までは、現状維持か微増を確保できるアイテムだと思います。しかし2010年以降は少子化による婚姻数の減少で、売上減少は免れないというのが大方の予想です。そこで宝飾業界の皆様に新しい提案がございます。昨年、始まりましたプロポーズ・アゲインに続き、結婚何年目かにかかわらず、夫婦が再び愛を誓い合う「バウ・リニューアル」というお客様にストーリーを提案できるセレモニーのご提案です。是非、結婚関連商品エンゲージ・マリッジリングをお取扱店の皆様は、ご結婚されるカップルの皆様にご両親へのプレゼントとしてご提案され販売増を目指し、お取扱のないお店の方々は、幅広い世代に提案できるアイテムとしてはいかがでしょうか?私は2006年に実際にハワイでそのセレモニーに参加してまいりました。結婚11年目ではございしたが、新たな気持ちが生まれ、非常に素敵な思い出となりました。

バウ・リニューアルとは ~いつでも何年目でも新たな誓いを~

結婚何年目かにかかわらず、夫婦が再び愛を誓い合うセレモニーが「バウ・リニューアル」です。欧米では夫婦のロマンティックなイベントとなっていて、ハワイなどのリゾート地でも幅広い年齢層のカップルがこのセレモニーを行っています。近年、日本人カップルにも広まってきたこのセレモニーは、ニ人の大切な記念日はもちろん、バカンス中の一イベントとして、また友人の結婚式でハワイなどのリゾート地に来たときなど、いつでも気軽に行えます。海外で挙式するのなら、ぜひ両親にも「バウ・リニューアル」をプレゼントしてはいかがでしょうか。親子2世代でのセレモニーは、家族の絆もより強まって感動もいっぱいです。「バウ・リニューアル」は、生涯忘れられない思い出のひとつになるでしょう。

セレモニーでは誓いの言葉を交わし、指輪やレイを交換

「バウ・リニューアル」はどこで行うかによって、内容にも多少違いがありますが、牧師さまや神父さまの前でカップルが誓いの言葉を述べて、リングやレイの交換を行うのがセレモニーのハイライトです。そして最後に、立ち会った牧師さまや神父さまのサインと日付の入った証明書に、自分たちも署名して受け取るのが一般的です。セレモニーの雰囲気を温かく盛り上げるものとして、音楽の生演奏や、カップルでのダンスなどが行われることもあります。ニ人が新しい人生へと歩み始めた結婚式当時の思い出や、これまでのニ人の日々への感謝、そして今、最愛のパートナーとニ人でいることの喜びが、きっと胸にこみ上げてくることでしょう。(ハワイ州観光局より)




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