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第55回 ツーソン・ミネラルショー

今年で55回目となるツーソン・ジェム・ミネラル&化石ショーは、この手のショーとしては世界一の規模を誇るもので、IJTやJJFのように一箇所で開催されている展示会ではありません。メインのショーの開催は2月中旬ですが、サテライトショーと呼ばれる別の販売会は1月下旬から始まり、この期間は何十ものショーが同時にホテルや普段空き地になっているような場所に巨大な白いテントや展示品ホールが出現し、ツーソンの街全体が宝石、鉱物、化石の買い手と売り手で埋め尽くされます。そこには、金、ダイヤモンドからガラス玉、恐竜の化石からオーストラリアの奥地で掘られたオパールなどありとあらゆる鉱物や宝石が展示されます。

今年も筆者はツーソンに行って参りましたが、例年と比較して、業者以外の入場を厳しく制限しているジェムショーで中心的な立場にあるAGTA、GLDA、GJXなどの展示会はいずれも入場者数が減少しておりました。これは世界的な不況で海外から買い付けに来るバイヤーが激減しているためでしょうか。最高の立地条件にあるホテルアリゾナでのジェムショーは完全に無くなり、数年前に郊外のJW Marriott Star Pass Resort & Spaに場所を移して開催しているGLDAジェムショーも入場者もブース数もまばらです。また、ツーソンジェムショーの代名詞的なAGTAショーではブースの空きが出るようになっており、これら展示会の中で最も盛況であったGJXジェムショーでも入場者数は昨年の半分位に減少しているように見受けられました。一方、人が入っていると言えば入場制限の無い誰でも入れるような大型の展示会場で、それらはエンドユーザーを対象としたビーズや製品を販売するものです。

毎年ツーソン・ジェム・ミネラル&化石ショーでは、新種の宝石や新種の処理石を筆者は鑑別に携わる者として最も興味があり、またいち早くそう言った石を探し回り、入手することが鑑別上非常に有効なためなのですが、ペゾッタイト以来新種の宝石で注目されているものはなく、合成石・処理石にも注目するようなものは出ていませんでした。目新しいと言えばオレンジのカヤナイトがありますが、この石では宝石として用いるには劈開や硬度に問題があります。合成石ではパライバカラーのベリル位でしょうか?米国では昨年ブッシュ前大統領がミャンマー産ヒスイとルビーの輸入を禁止しましたが、ミャンマー産非加熱ルビー・サファイアやヒスイの数は依然として豊富で、以前からツーソンショーではワシントン条約で制限されている象牙類や化石類が多数出展されており、米国の通関検査に対する疑問をツーソンに来るたびに抱かされます。

今回の旅では、鑑別に有用な石や情報も無く、このショーを通じて日本以上に不況下にある米国の現状を感じさせられました。オバマ新大統領の景気対策法が功を奏し、米国のみならず世界景気の立て直しの一歩となることを願います。

弊社のキュービッドケースとGSペットもツーソンに登場

弊社のキュービッドケースとGSペットもツーソンに登場

サボテンの形に似たアメシストのガマ

サボテンの形に似たアメシストのガマ


小売店様向け宝石の知識「宝石大国・インド2」

宝石大国・インド2

インドはダイヤモンドを最初に見つけて使い出した国。紀元前4世紀トラビダ族によるといわれる。それから1725年にブラジルでダイヤモンドが発見されるまでの間、貴重な世界唯一の産地として活躍した歴史がある。現在は主要産地の地位を失っている。

古代インドでは、ダイヤモンドが比類のない硬さをもち、八面体の面に平行に割れ易いという劈開(へきかい)の性質に気づいていたようだ。インドでは、この時代ダイヤモンドの売買に税金がかけられ、とくに三角形の面が八面でできている八面体ダイヤモンドには最高の税金がかけられ、ダイヤモンドのなかで最も価値あるものとして珍重された。ダイヤモンドは国内税や関税の対象であり、王朝の財源の一つであった。

インドが唯一のダイヤモンド産出国であったときに、17世紀にインド産ダイヤモンドをヨーロッパに紹介した人物がいる。タベルニエ・Tavernier, Jean Baptiste(1605~89)である。ダイヤモンド史上記憶すべき重要人物である。彼は著明なフランス宝石商であり、旅行家であった人。歴史的有名なビッグ・ダイヤモンドの物語には、しばしば登場してくる人物である。当時の最高権力者であったフランスのルイ十四世(1638~1715)も顧客の一人で、タベルニエからビッグ・ダイヤモンドを20個も購入した。タベルニエは前後6回にわたり東洋に旅行し、当時の多くの権力者や支配者の財宝を視察し記録にとどめた。とくにインドのビッグ・ダイヤモンドを買い求め、ヨーロッパに持ち帰った。彼が記述した東洋旅行記には、有名なインドのビッグ・ダイヤモンド並びに宝石類について当時の状況や伝説が記述されている。ダイヤモンドと宝石について歴史的に貴重な文献となっている。

ところで、タベルニエがヨーロッパの王侯貴族にダイヤモンドを売るときの商談について2大逸話がある。

逸話(1)は、タベルニエ・ルールである。
タベルニエが伝えたといわれ宝石の価格算定方式である。ダイヤモンドや宝石の価格は、その重量の2乗に比例して価格が上昇する。つまり1ctの価格に対して2ctはその4倍になるとしている。この宝石算定方式はインディアン・ルールともいわれていた。現在この方式は当然ながら用いられていない。

逸話(2)は、ダイヤモンドの採れる場所は、「ダイヤモンドの谷間」といわれ、特別の人間しか到達できない深山幽谷で、行くのは命がけである。そこでダイヤモンドを採取するには、殺したばかりの山羊の肉を渓谷に投げ込み、それを大鷲が谷底に舞い降りてダイヤモンドが付着した肉片を山頂の巣に運んだところを、あとで巣の周りに落ちたダイヤモンドを集める方法だ。遠い東洋で唯一の産地であるインドのダイヤモンドは、採れる場所は深山幽谷にあって、大蛇毒蛇がうようよしている危険なところ。そこから命がけで大難儀して持ち帰ってきたダイヤモンドだ。(参考:シンドバッドの「千夜一夜物語」。またダイヤモンドには油脂に付着し水分をはじく性質がある。)

タベルニエが17世紀後半にフランスのルイ王朝にダイヤモンドをインドから運んで売っていたのは、ダイヤモンドがまさに宝石の最高位に登りつつあった時代背景があった。

当時西欧では、ダイヤモンドが偉大な権力の象徴になってきたことだ。ダイヤモンドは途方もない力を持ち、狂人を正気に戻し、作物を天災から守り、家や建物を稲妻や雷から守り、病気を治癒すると考えられていた。これらダイヤモンドの神話は当時の人々によって信じられた。それ故にビッグ・ダイヤモンドが渇望されたといえよう。こういった話は一概に笑えない当時の世相だったようだ。

17世紀タベルニエが、インドにダイヤモンドの買い付けに商用に赴いたところはゴルコンダGolconda地方といわれる。インドの南西部アンドレブラデシュ州に位置する。17世紀のダイヤモンド大取引センターであった。インド産ダイヤモンドの話には必ず登場する。このゴルコンダ地方は、ベナール川、キストナ川、カーヌル川流域に広がり、昔のダイヤモンド漂砂鉱床で、当時は採掘場が存在していた。

このようにインドは紀元前から18世紀前半まで世界唯一ダイヤモンド産地だった。現在はダイヤモンドの大研磨加工センターである。昔も今もインドは宝石大国である。

「楽しいジュエリーセールス」
著者 早川 武俊

ワールドニュース(2009.03)

花粉症の方には厳しい季節になりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
世界のダイヤモンドマーケットの現地での買付け方法や観光情報をご案内して参りましたが、今回は中国香港・珠海編について掲載させていただきます。

香港編

●正式名: 中華人民共和国 香港特別行政区
●総面積: 約1,104km2(東京23区の面積の約2倍)
●人口: 約700万人
●人口密度: 1km2当たり6,350人
●GDP: 2,067.07億ドル(一人当たり29,650ドル)

東京御徒町のジュエリータウンのように香港九龍の商業の中心・尖沙咀の東方に位置する紅(ホンハム、Hung Hom)にはたくさんの宝飾関連の企業が入居するビルがあります。ダイヤモンドサイトホルダーからジュエリー工場、パッケージ会社までこの周りだけでいろいろな会社と商談することができ、期待した工場がきっと見つかると思います。ここは香港では古くから工業地区として栄え、区域内には黄埔ドッグという造船所がありました。現在はその名残として黄埔地区内に黄埔号という船の形をしたモニュメントがあり、日系スーパージャスコや商店が入居しており、観光スポットの一つとなっています。また近年は海岸沿いやMTR東鉄線紅駅周辺には半島豪庭(ロイヤル・ペニンシュラ)、黄埔花園(ワンポアガーデン)、海逸豪園(ラグーナ・ベルデ)などのやや高級な高層住宅が林立し、深、東莞、広州、上海、北京など中国へ向かう列車の紅駅が近くにあり中国出張に大変便利な場所であることから、九龍では日本人駐在員がもっとも多く住んでいる地区でもあります。ぜひジュエリーフェアで香港にご出張の際は、紅まで足を延ばされてはいかがでしょうか?

3月は香港ジュエリーフェア

今年も香港島の「コンベンションセンター」と、空港近くの「AsiaWorld-Expo」の2会場での開催となります。本会場となる「コンベンションセンター」は3月4日から8日まで。ジュエリーショウだけではなく、さまざまな見本市が毎月行われています。一見帽子のひさしのような外観に見えますが、実は風水により金運が上がりますようにとの願いを込めて、「亀」の形を表しているのだそうです。一階から最上階まで世界最大のガラスが張られており、いまだ拡張増床の工事を行っています。「AsiaWorld-Expo」の会場は、3月1日から5日までですが、今年の来場者数は昨年よりもずいぶん少ないのではないかと予想されています。
このフェアのすばらしさは世界的に認知され総来場者も毎回最高を更新していましたが、昨年のリーマンショックに端を発した世界同時金融危機によりアメリカや日本をはじめとするジュエリー大消費国のバイヤーの来場が危ぶまれています。
過去のフェアでは、香港メーカーのブースでイタリアのバイヤーが交渉していたり、アメリカのバイヤーが買付けをしていたりと、デザイン、技術ともに認められてきていることを実感しました。業界の方々が中国・香港を工賃の安さだけという今までの捉え方ではなく、新しい加工技術への対応能力や生産力が向上した世界の工場としての役割を期待しているのではないかということです。事実、このフェアの出展者、来場者ともに年々増加していたということでもわかります。
現在の我々宝飾業界の危機を乗り越えるためには大きな視野をもち、お客様に喜んでいただけるような企画提案ができる商材を見つけ出し、落ち込む消費者のマインドを打ち消すものがきっと見つかると思います。その商材が日本にも好循環をもたらし業界全体に波及することを期待します。

中国 珠海編

●正式名: 中華人民共和国 広東省 珠海市
●総面積: 約1,653km2
●人口: 約141万人
●人口密度: 1km2当たり839人
●省都: 広東
●建都: 1921年
●GDP: 634.6億元(一人当たり45,258元)
歴史と背景

辛亥革命により中華民国が成立すると1925年孫文を顕彰し香山県は中山県と改称されました。中華人民共和国成立後も1953年珠海県と改称されましたが基本的な行政区分は継承されていました。その後は商工業の発展に伴い人口が増大、1979年3月5日一挙に地級市(地区クラスの市)に昇格します。1981年に深、汕頭そしてアモイとともに経済特区に指定され、以後安い労働力と土地を求めて多くの企業が進出し多額の外国投資を集めて目覚しく発展しました。マカオと隣接していることから、マカオ資本主体で開発が行われてきました。台湾、日本企業も既に珠海に進出しています。珠海には中山大学のほかに中国大陸の10大学が分校を設けているので企業への人材供給も不足はありません。北京や上海の大都市と比べ人々の対応が親切で思いやりの精神を私は感じることが多いです。あまり宣伝はしていませんが珠江デルタ東岸地域よりも「治安の良さ」を誘致条件としているようです。現有の産業としては、電子・電機関連、バイオ、ソフトウエア、石油化学、集積回路などのほか腕時計、キッチン用具、洗面所浴室設備など幅広い分野に至っています。その中で近年は、ダイヤモンドの研磨工場やジュエリーの生産工場の進出も相次いでいます。香港に事務所を構え労働賃金の安い中国工場でダイヤモンドの研磨やジュエリーの量産を行っています。珠海は香港とも協調していて珠海にも国際空港がありますが、珠海空港は香港空港との提携が決まり香港空港の第三滑走路として珠海空港を活用する予定。香港との間は通関後高速フェリーで結び、乗客はそのまま搭乗出来ます。香港島および九龍島からは高速フェリーで1時間ほどの距離にあり、週末ともなると香港に駐在する日本人のゴルフバックを担いだ珠海ゴルフ場利用者でいっぱいに。プレー代が日本に比べ格段に安いらしいです。



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